まっくん誕生秘話

今から100年くらい前のお話です。


大芝高原と桃十先生

大芝高原は、そのころは大芝原といって、馬のえさにする草や、田や畑の肥料にする草をとる原っぱでした。こういう原っぱを「まぐさば」と呼んでいました。昔は、自動車もトラクターもありませんでしたから、 大芝高原と桃十先生畑や田んぼを耕すのに、馬が必要だったのです。 また、今のような化学肥料などはありませんでしたから、木の小枝や草を肥料にしたのです。大芝原へは村のそこらじゅうから草を刈りに行き、刈った草を束ねて、馬につけたり、人が背負ったりしてきたのです。


この広い原っぱに、たくさんの木を植えようと考えた人がいました。その人は、そのころ南箕輪尋常小学校の校長先生をしていた福澤桃十という人です。

そのころの南箕輪村は貧しい村で、小学校の建物も満足なものではありませんでした。
「もっと村を豊かにして、立派な学校を作りたい。」
村の人々はみなそう願っていました。

そこで、桃十先生は、大芝原に目をつけたのです。
大芝高原と桃十先生2 「あの大芝原にたくさんの木を植えよう。学校の子どもたちにも木を植えることの大切さを教えよう。やがて木が大きく育てば、学校を作る材料にもなるし、木を売って村のお金にすれば、村も豊かになるだろう。」
桃十先生は、村役場に許しを貰って、学校の先生や子どもたちと一緒に、どんぐりや赤松の苗木を、学校から大芝原まで歩いて運び、植えていきました。

ところが、桃十先生のやり始めたことに、村のほとんどの人が反対しました。
「大切なまぐさばに木なんか植えられたら、草が採れなくなっちまうじゃねえか」
「木なんか植えたって何の得があるんだ。売れるようになるまで、どれだけ手間がかかることか。そんなことに、子どもを使わねえでくれ」
と、何人もの村人が、毎日のように校長室に押し寄せてきました。
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あまりにも強い村人たちの反対にあい、木を植えることが本当に村のためになるのか、桃十先生は迷いました。そのことを考えると、眠れない夜もありました。

疲れ果てたある夜、桃十先生は夢を見ました。
夢の中には、未来の南箕輪の景色が映っていました。緑豊かな村の真ん中に、立派な木造校舎が見えます。目を西山に向けると、麓に豊かな森林が広がっていました。立派に育った木を切り出している人々の姿が見えます。
大芝高原と桃十先生4そこで、はっと目が覚めました。
「やはり木を植え続けよう。木を植えることの大切さを、村人たちもきっと分かってくれるはずだ」
次の日、桃十先生は、反対する村人たちに語りかけました。
桃十先生の訴えや熱心な姿に、村の人々もだんだん心を動かされ始めました。さらに植樹の大切さを村人たちに知らしめたのは、火事で焼けてしまった校舎の建て替え費用をどうするかという問題でした。ついには強く反対していた人々も、一緒に苗木を植えるようになるのでした。こうして、桃十先生たちの植えた苗木の数は、何万本にもなりました。

桃十先生らによって始まった植林は、昭和24年ころからは中学生に引き継がれました。

植林に加え、大芝高原に住む鳥たちのための巣箱もたくさん設置されました。

まっくん解説 このとき、人間界で植えられたたくさんの木の影響を受け、妖精界のすみっこに「アカマツの妖精界」が誕生したんだ。
実は、妖精界と人間界は表裏一体の関係なんだよ。

大芝高原と桃十先生5
しかし、昭和56年4月11日午後1時22分、高原内で火災が発生しました。焼失面積は9ヘクタールにも及び、1万本以上の木が燃えてしまいました。



まっくん解説 森を育てていた中学生や南箕輪村のみんなはとても悲しかったみたい。

でも、すぐに植林を始めたんだ。
また元の立派な森林に戻そうってね。
そのみんなの想いのエネルギーがアカマツの妖精界に届いたんだ。
想いのエネルギーは一箇所に集まって大きな塊になっていったんだよ。

そして平成6年、極限まで大きくなったエネルギーの塊は、一気に凝縮し、ひとりの妖精が生まれたんだ。

それがボクさ。

ボクは、植物や動物を大切に思うみんなの想いから生まれたんだ!
大芝高原